Profile

澤野 優美子(さわの ゆみこ)

1975年 宮城県仙台市生まれ 

1993年 仙台育英学園外国語コース卒業

1996年 英国エセックス大学 社会学部 留学

1997年 宮城教育大学卒業

1997年 七十七銀行入行

2001年 宮城国体6位入賞を機に引退、寿退職

2012年 生活協同組合生活クラブ
     鎌倉デポー 建設委員長
2014年 (株)ユニクロ入社

2016年    (株)ルミネ接客ロールプレイング大会
     「ルミネストブロンズ」入賞
2016年 世界のユニクロで半期に50人が選出
             「グローバルエクセレントスタッフ賞」受賞
2017年 ユニクロを依願退職

               フリーランスとして独立、現在に至る


27歳まで人生を捧げたテニス選手生活

3人姉妹の長女として生まれ、幼少よりテニスに没頭し青春時代は全てテニスに捧げました。


唯一テニスから離れて過ごしたのはイギリス留学をした大学3年の1年間。 社会学を専攻しながら、自分自身のアイデンティを見つめるモラトリアムを異国の地で過ごし、「今の自分にしかできないことは何か?」を考え抜いた結果、テニス選手として身を立てる決意をして帰国。留学前にスカウトを受けていた、地元仙台の七十七銀行に入行し、女子テニス部を立ち上げ、27歳まで日本全国のツアーを転戦しました。5年間の全国行脚の結果、2001年地元の宮城国体6位、日本ランキングは最高で50位という戦績を残すことができました。 


専業主婦10年を経て社会復帰 
ユニクロに勤めるも…

結婚を機にテニスを引退してから、約10年間専業主婦生活を送ったのち、2012年生活協同組合生活クラブ鎌倉デポー建設委員長として組合員1000名を集める拡大活動を経験し、その後もサブマネージャーとして店舗運営企画に関わりながら、子どもたちの成長に合わせフルタイムで働く道を模索。

 

経済的にも社会的にも安定した働き方を求めて2014年に株式会社ユニクロの地域正社員として中途入社。入社して3ヶ月で地域正社員募集のポスターやパンフレットにロールモデルとして採用され、全国紙にも掲載していただきました。

入社2年目の2016年、株式会社ルミネの接客ロールプレイング大会で「ルミネストブロンズ」に入賞。ファストファッションのアパレルながら、丁寧な接客と、プレゼンテーションスキルを評価していただけました。また同年には、世界で半期に50人しか選ばれない「ユニクロ グローバルエクセレントスタッフ賞」受賞。お客様を笑顔にする接客の楽しさや喜びを実感できた瞬間です。

 

ユニクロ在籍中には、コンクール入賞のために様々なセミナーに参加し、好印象を与える接客スキルをアップ。そんな中で、アラフォーだからこそ、見た目を更に磨く事の重要性に気づきました。

 

独学で始めた糖質制限ダイエットで5キロの減量に成功し、その後ケトジェニック・ダイエット・アドバイザー資格取得。健康的な美しさのための、化粧品に頼らないスキンケアにも目覚め、「ウソをつく化粧品」著者 小澤貴子先生主催の、美容科学講座を受講、美容科学指導士を取得。

 

新しい働き方を求めてフリーランスに

そんな最中に、「新しい働き方」を求めて、2017年にユニクロを依願退職。「好きなことを仕事にする」を目標に、2018年から「美粕家 サケカスコ」として、酒粕を用いた化粧品に頼らない美肌つくりを提唱する活動をに取り組み、酒蔵・外資系ホテルとのコラボイベント等を多数企画。

しかしながら…「好きなことを仕事にする」だけでは食べてはいけない現実にも直面。売上が作れなかった美容家としての道からシフトチェンジ。真に自立するためには「人の役に立つスキルを生かした仕事」をすることだと気づかされ、現在はイベント企画力を生かし、中小企業の広報に関わるイベントのコンセプトメイキング、協力者とファン化した顧客を巻き込んだコミュニティ構築、ウェブやSNSの情報発信にも強みを持つ広報コンサルタント、新規事業立ち上げのファシリテーターなど、外部委託として頼りにしていただける「社長の左腕」として活動中。


キャンピングカーDIYの
リモートオフィスが注目されました

また働く時間にも場所にも縛られない「リモートオフィスバン」をDIYで製作し、日々湘南エリアの素敵なシチュエーションでリモートワークも実践中です。こちらの詳細は別途こちらで紹介しております。ご興味のある方はご覧ください。

youtubeチャンネル 葉山ブッシュクラフト

【予算10万円キャンピングカーDIY】

愛車をDIYした様子を構想から完成時まで記録に残しました


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【ハマる女性急増中のバンライフ】

キャンピングカーで自由に移動しながら仕事するリモートオフィスとして、私の愛車と共に取材を受けました